最初に断っておくと、この記事は小遣い制でも金儲けが出来るという釣り記事ではない。
そんなものは魑魅魍魎アフィリサイトに沢山落ちているから、情弱はどんどんと毟られるといい。
いわずもがなだが、僕は小遣い制という地に堕ちた思考停止の一人であり、そこから這い上がらんと試行錯誤している一人である。
思考停止は、「今ある」もの、事を前提に考える癖がつく。その前提にたってのみ「しか」考えられなくなる。
物事に対する関心は薄れ、消費型の人生が待ちわびている。
小遣い制の勤め人は会社から得た幾ばくかの金の一部を源泉徴収という形で持っていかれ、更には残りの殆どを嫁に吸い取られ、手元に残るのは冗談抜きで雀の涙。
ここに金のかからない娯楽がやって来る。SNS、ゲーム、無料マンガ、チャット…貧困であるが故に、その人生は基本的に「浪費」、「消費」型
— Kaz (@12_vagabond) 2018年1月16日
消費型の人生に出口はない。同じところをぐるぐる回るだけだ。
僕は、自分がこの状態にある事を認識している。
もっと具体的にいうと、どういう資産、資本があって、自分の財務諸表がどういう状況にあるかという事を正しく理解している。
そして、その現状は惨憺たるものである事も認識している。
以前、「あちら側とこちら側」と言う記事に記した通りだが、現状を変えたいなら、まず「自分がどう言う状態にあるか」と言う事を「正しく」認識する必要がある。
人には自尊心というものがあるから、認めたくない気持ちがあるのもわかる。
女の子にバカにされた日々、いじめられていた日々、失敗した経験、小遣い制を受け入れてしまった過去…なるべくなら思い出したくない。
しかし、現状を受け入れないことには、対策のとりようもない。不思議なことに仕事ではこれが出来るのに、自分事になると全く頭が回らなくなる人が一定数いる(というかサラリーマンのほとんどはこの状態にあると思っている)。
会社に属するという事は悪いことでもなんでもないが、ゴールはある程度見えてしまう。そこでの人生「しか」考えないのであれば構わないが、外の世界(ネットの世界や異業界、経営者や事業主)を知ってしまうと、いかに今置かれている状況が「不利」でリスクが高いかという事に気づいてしまった。
もちろん人的資本の投入によってリターンを得るというのは王道かと思うが、その回収率の悪さというのは、経営者や事業主から見たら、まさに「狂気の沙汰」だろう(税金、社会保険料その他含めて)。
僕が、20歳そこそこだったら、この状況から必死に抜け出そうとするだろう。
しかし、僕がこれに気づいた頃には、既にがんじがらめの状態である事を認識した。
1分ほど自己嫌悪しそうになったが、今までの人生が無駄だと思ったことなど一度もないことに気づいた。
「今より早い事はない。過去は過ぎ去っている。今出来る事を考えろ」
とは、ツイッターのTLで流れて来て個人的に刺さりまくったワードであるが、今から出来る事を考えるしかない。
僕は、限られた原資の中でもがき苦しむしか存在価値のない底辺アカウントだからこそ、変化の少ない日々の生活の中で、「どうしたらそれが出来るのか」を考える機会を増やし、少しずつ変化していく事を心がけている。
金は「時間を買える最強の手段」である。
金がない僕にはできる事は限られている。株式投資の原資が1000万円の人が100万円増やすよりも、僕が20万円増やす方がよっぽど時間が掛かる。
そして、今一人身の人に伝えたい事は、金があるうちに「消費の癖」から抜け出せないと、一生、その前提が変わることはない。という事だ。
例えば、今はナンパで女の子とセックスできてウハウハしてても、いつか家族を持ったとすると金融資産の大半は家族の為に使わざるを得なくなる(事の方が多い)。
小遣い制であろうがなかろうが、望むと望まざるとに関わらず。
以前ツイートしたように、
セックスが手に入る状態になると優先度が下がる。
自分の人生をどうするか考えたり、他にやりたい事が出てくる。セックスが不足すると、セックスの事ばかり考えるようになる。
三大欲求なんだから仕方ない。
まずはセックスが足りる状態を作らないと悶々といつまでも悩む事になる。
— Kaz (@12_vagabond) 2018年1月13日
安定的なセックスは、人生を好転させるための最低限の土台だという事が出来ると思う。
ただ一方で、そればかり追い続けると、いつまでたっても同じところをぐるぐる回る事になる。いわゆるラットレースというヤツで、小遣い制の僕となんら変わらない。
「やり方」がわかったら、頻度を減らして、自分の人生を好転させる手段を考えるフェーズに来たことを認識したほうがいいのかも知れない。
(もちろん、数を追ってもいいだろうし、それは人それぞれなので否定するつもりは毛頭ない。ないが、この記事は「数を追うだけなのはちょっとな」と思っている人向けに書いている。)
パチンコで浪費し、借金を繰り返す。そんな老人やフリーターを見て、「かわいそう」と思うだろうか?
心配しなくてもいい。自分もある人達から見たら「かわいそう」だと思われている。
大切な事を考えずに女の子に尻を追い続けるだけの状態というのは、とても心地が良くエキサイティングなものだ。
でも、それで良いかどうか、何もない休日の朝、携帯を置いてカフェでゆっくり考える時間を持っても良いのかもしれない。
◆人生変えたければ、小遣い制こそナンパをしろ
今までの意見と正反対だと思われるかも知れないが、「入り口としてのナンパ」というのは、とても効果的だと思っている。
ナンパやセックスは頻度を上げれば上げるほど、精子量と脳力は比例して減衰していくと勝手に思っている。
体が悲鳴をあげる。やりたくもないのに、取り憑かれたようにアポを繰り返す。
最終的にはこうしたサイクルは避けるべきと考えているが、入り口としてのナンパは、人生を好転させるのにとても素晴らしいものだと思う。
その理由は、一つ、「自分の心が動くことで見えてくるものがあるから」だ。
嫁に飼い殺しにされ、ソシャゲやエロ動画で消費するうちに、インフルエンサーの意見に左右され、SNSで他者のリア充ぶりを羨むうちに、自分の好みやというものがボヤけてしまう事がある。
自分が本当に好きだと言うものをしっかり認識しているかどうかはすごく大事で、それは誰かが言ってるからどうと言うものではなく、「自分の心が動く」かどうか。
インフルエンサーが言ってるから、力の強いあの人が言ってるから、と言う理由でいると、いつまで経っても人に振り回される人生。
— Kaz (@12_vagabond) 2018年1月14日
こうした「自分の心が動く経験」を増やして行くと、感度が上がる。
感度が上がることで、自分の中の「好き嫌い」がハッキリしてくる。
少し大袈裟かもしれないが、そうしたものの積み重ねが、この先どういう人生を送るか、どういう人生を送りたくないかを見極める指標を作り上げていくものだと思っている。
普通の小遣い制の既婚者なら「ナンパ?良い年して何考えてんの?」と考え、それでもたまに出会った子に、全力でオジさんラインを送って大空振りと言うのが一般的だろう。
不倫だなんだと騒ぐ連中もいるので、あまり大っぴらには言いたくないが、
「人生変えたければ、小遣い制こそナンパをしろ」
と、あえて声を大にして言いたい。
会社や家での地位や肩書き、立場を捨て、一匹の雄として路上に立つ。
この経験は何物にも代え難い、とても貴重なものであると断言したい。
けど、
少しだけ本音を言うと、
できる事なら気づきたかった。
大月班長のように。。。
おわり
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