出世争いに参加することについての考察

サラリーマンとして働いていると、同僚との出世争いは避けられない。
これはもう、好むと好まざるとに関わらず、必ずぶち当たる問題だ。
そりゃ組織というものは当然、上意下達で成り立っているものだからしょうがない。
これは前職が大企業だったからこその体験かもしれないが、同期の奴とも30歳ぐらいまでは、みんな一斉にある程度の進級はするが、30歳を越えたあたりから、少しずつ差が出てくる。
その後、50歳ぐらいになると明らかな差が出てくる。
早い人は役員、遅い人は課長という具合だ。
若い奴は口を揃えて言う。
「あの2人は同期らしいよ。」
「マジかよ。」
その言葉の裏には、「あいつ(遅い奴)みたいにはなりたくねーな」だ。
同僚との競争では、一見仲良くやっているものの、お互いがお互いの評価を気にしながら、関係部署との人間関係作りに躍起になる。
出世は運だ、という見方もある。もちろんそう言う面もある。
たまたま大きな仕事をいいタイミングで引き継ぎ、成功を収める。
もしかしたら、ライバルが勝手に失敗して評価を下げただけかも知れない。

 

出世する為の要因は様々だ。
自分を気に入ってくれている上司が偉くなって引き上げられるか、人徳、学閥、工場閥、本社/支社勤務、人事担当者の好き嫌い、タフネス、などなど、たくさんの要素を全てうまく働かせた者こそが、社内の覇権争いで優位に立てる。

 

なるほど、誰よりも思考を巡らせ、工夫をし、愛想笑いをし、子供がグレても「家族の為だから」と言う言い訳で仕事に逃げた(悪意あるなw)結果だったら、そりゃ出世出来ても妥当な結果だろう。
文字通り、覇権争いに勝つという事は、学歴も能力も人徳もある人が、その全てと人生を全て捧げた上で、やっと手に入れられるという事なのだ(なんかHUNTER×HUNTERみたいな表現だな)。

 

当然、順風満帆な会社員生活でも体を壊して休もうものなら、その評価は当然の事ながらただ下がりだ。

 

極端な例だが、役員と課長を比較してみよう。
例えば、某T社の場合、年収を比較すると役員が5000万円(自社株含めたらもっといくなw)、課長は1500万円ほどだと推測される(縦軸が年収、横軸が入社年数ね)。

 

 

 

役員は早くから同期よりも抜きん出て出世する一方、課長は人より遅い。とすると、ざっと計算すると、生涯年収で約4億円の差だ。一人の年収じゃない。生涯の年収「差」だ。

 

これは大きい。

 

4億円も差が出るなら、目指す価値はあるかも知れない。
T社のように連結で35万人も従業員がいる会社の役員なんて狭き門だ。
役員は約50人(改めて見ると、コレだけでもスゴイなw)。

 

なれる確率は全社員の内、0.01%だ(一応断っておくと、製造業においては、工場で働くいわゆるブルーワーカーが従業員の多くを占めている。彼らは高卒で入社するので、出世の道は「通常」途中で閉ざされている。役員になれないとは言わないが、大卒が役員になる何倍も運と実力がいる。ただし、歴代役員で高卒がいないわけではないだろうから、ここでは母数に含める)。

 

とはいえ、新入社員を含めた全社員を比較対象にするのはいささか無理がある。
仮に50才以上の人と比較しよう。
T社の平均年齢は38.6歳。上場企業の年齢分布はいわゆる「つりがね型」が多い(http://www.works-i.com/pdf/s_000259.pdf)のでこれを当てはめる。
60才は少なく、50歳代は多い。
そうだな、せいぜい、5%ぐらいか。

 

約2万人としよう。
この内の50人が役員だとすると、なれる確率は2.5%か。宝くじで一等になる確率(http://camatome.com/2013/06/takarakuji-1tou-tousenkakuritsu.php)よりはだいぶ高そうだが、果たしてこの超狭き門を目指して邁進すべきかどうか、だ。

 

もちろんこの比較や考察は乱暴だ。最上位と最下位の比較であり、中位の人は部長だったり、そのあたりの立場だったりするし、出世争いだって、役員になることを前提にする必要はないかも知れない。
あれこれ言ったが、結局、僕が言いたい事の要点は、「偉くなることを前提としたマインドで働くかどうか。」ということだ。

 

以前の会社の同僚に、誰よりも出世を気にしている人間がいた。
「俺は全く出世したいと思ってないから」
が口癖だったが、飲みに行けば「誰々がどう評価されているか、誰々課長は自分の事をどう言っていたか」についてだけ。僕にとっては浅すぎるマインドで、それ以来僕はそいつと飲みに行くのをやめた。

 

誰もが聞いたことがあるだろう、茹で蛙の話がある。
「蛙は熱湯に飛び込むとビックリして飛び出すが、水を少しずつ温めると沸騰するまで気づかずに死んでしまう」

 

これは、1つの組織に依存して、それが泥船だった時、組織と一連托生で沈んで行くことがないようにしておく事を諭す寓話だが、これを聞いた多くの人のどれだけが本当にその危機感を抱いているだろうか。
僕は一緒に飲みに行った同僚を蛙だと思った。
「ああ、コイツは一生この会社で給料をもらって生きていく事しか考えていないんだな。」と。

 

別に否定はしない。
そういう人が偉くなって会社を動かしていくようになるのは事実だからだ。
ただ、彼には会社と家族、子供の習い事の知り合い以外に友人はいないようだった。
僕だったら死ぬ瞬間に、きっと後悔する(半分否定しているけどw)

 

ここまで言っておいてアレだが、僕は仕事を死ぬほど一生懸命やることには、一定の価値があると思っている。
その中で身につく、交渉力や、ビジネスマナー、忍耐力、理不尽、体力。そうした経験は一度はやってみないと身につかない。

 

だけど、それは20代のうちだけでいい。
仕事をする上で、手を抜いていいかというと、そういうことを言っているのではない。
それがどういうものか分かったら、後は方向転換をしなければ、「俺らの若い時代は~」と偉そうに美徳を語るウザい上司のベースが出来上がって、そういう人は気づかないうちに茹で蛙になっている可能性が高いよという話。
別に会社にしがみつきたいなら、好きにすればいい。否定もしない、その人の人生だから。

 

だけど、僕とは合わないね、というだけ。

 

僕は、仕事を上にも下にも目立たず早く終わらせて、会いたい人と会い、勉強したいことをして、稼ぎたいことで稼ぐ。

 

そういや、子供の頃父親が、上司がムカつくからと突然仕事を辞めてきた事があって、それでも生活水準は一切変わらなかった。

 

それが、縛られない生き方を模索する原動力になっている気がする。

 

ちなみに、僕がT社に詳しいって思った人・・・たまたまよ、たまたまw

おわり

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