対象に何かを期待するという事

ナンパやビジネス、他の何事においてもそうだが、相手(対象)に何かを期待するという事について書いていきたい。

何でもいいんだけど、ちょっと試しただけで、相手や提供されたサービスから何か自分にとって都合のいい反応が得られると思ってしまうことがある。

例えばクラブで女の子に声掛けをして、相手が少しいい反応だったとしよう。

僕自身の話ではあるが、初期の頃にありがちだったのが、耳元で話すという行為だけで相手が自分に好意を抱いているんじゃないかと期待(錯覚)してしまうことが少なからずあった。

考えてみれば爆音の中、距離を近づけないと会話が聞こえないというだけの話なのだが、当時はそのようなシチュエーションになっただけで相手に何かを期待していた。

「こいつ、僕に気があるんじゃないか。」

「この子とやれるんじゃないか。」

この時点では相手は当然そんな気分にはなっていない事が多いんだけど、特に初心者の人は、色々すっ飛ばして自分の都合のいいように解釈する癖がついている。

そして、相手が自分の思ったとおりにならないことで、落胆する。

これは、ここ最近の暗号通貨に対しても、ネットに落ちている金儲け系の話についても、同じようなことが言えると感じる。

例えば暗号通貨。確かに、2017年はビットコインを始めとする草コインも市場全体が上向きで、2017年の初期段階で買っていれば大儲けできただろうし、僕の友人にも多くの金を得た人は確かにいる。

そういった噂を聞きつけた人間が起こす行動は周りを見ての通り。

よく調べもしないで市場に何かを「期待」し、ただ単に資金を投入する。

もうその時点で自分のスケベ心に動かされているだけで、その結果得られるものは、「運」による成果だけだ。そういう人はあの時こうしたからうまく行った、という運に身を任せる事しかできないから、勝ち続けることなどできない。

結局どこかで痛い目を見ることになる。

 

また例えば、ネットの金儲け情報。

多くの情弱は煽り文句に乗せられ、サービスを購入する。「秒速で1億円」「クビでも年収1億円」など一時期流行ったあれだ。

購入者の多くは自分で考えない。そのサービスが謳っている煽り文句に「過度」に期待し、現実に何も起こらない事に怒り騒ぐ。

もちろん、自分事に落とし込んで行動できた人で成功した人もいるだろう。

そういった人は、人の何百倍も努力したからこそ、それが叶っているだけだ。

 

オンラインサロンに入って、「何もサービスがない!」と怒るのは、もしかしたら過度の期待が有るのかもしれない。

読むだけでモテるようになるnoteや、入っただけでセックスできるサロン。

そんなの有るわけないだろ。

もし、これを読んで少しでも自覚がある人は、何かを期待してしまっているのかも知れない。

だから、サービスの提供を受ける(ナンパの講習しかり、お金儲けの方法しかり)という事は、「実践」するという事が自分事として、本当に想像できるかどうかという事が重要で、そこには圧倒的な努力(本人がどう思うかは別だけど)が前提として有るわけだ。

だから、対象に何かを期待するという行為は全く以て見当違いであり、期待するだけで行動しなかった人で、何かを得られたという人は聞いたことがない。

いつまでもネットや本に書いてある情報に踊らされて文句を言っている人は、本当に自分が実践しているか、一度立ち止まってよく考えてみることをオススメしたい。

以前の記事にも書いた気がするんだけど、サラリーマンは「会社との契約」を前提にしていて、滅私奉公を受け入れる精神性が、元来日本人には備わっているから、信じられないような辛い作業でもなんとかこなしてしまう事が多い。

僕自身、前職は毎日死にそうになりながら働いていた事もあって、この気持ちはよく分かる(女の同僚は、睡眠不足で生理不順になっていた)。

なのに、いざ副業とか投資とか、外の事になると急に自分がお客さん目線になる人は多い。

「買って「やってる」んだから、このぐらいの見返りは当たり前だ。期待して何が悪い。」と。

もちろん自分が働いていない時は、個人として、自分のわがままを振りかざしたい。

辛い仕事から開放されている時ぐらい、自分の都合のいいように世界は回ってほしい。

その気持ちは痛いほどよく分かる。

金で解決できるなら、セックスもこちらの要望に応えてくれるサービスで済ませたい。

その気持ちもよく分かる。

ナンパでセックスできている人や、ビジネスで成功している人が、甘い汁を吸っていると思っている人も多いと思うけど、彼らが飲んでいるのは、甘い汁だけではない、泥水だって飲んでいる(だからこそ、甘い汁がより一層美味しく感じられるんだけどね。)

なんの挑戦もしない人が飲めるのは、無味無臭の水だけ。

その事をどれだけの人が理解しているだろうか。

今コレを読んでいる人はどうだろうか?

ただ単に、批判する精神性になっていないだろうか?

目の前の女の子を落とすのは、「自分で」考えた「自分の」言葉で伝えるコミュニケーションの結果だし、サロンやnoteで結果を出すのは、(言葉は悪いが)それを使い倒した人だ。

自分が批評家になっていないか、常に自分を俯瞰して行くことを心がけたい。

僕自身、自戒することも多いので、備忘録のために記事にしてみた。

もし、これを読んでいる誰かの心に響いてくれたなら、こんなに嬉しいことはない。

 

おわり

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