「欠乏」のマインドセット

風呂上りに、ふとついていたTVに目が行った。

「オイコノミア」というNHKの番組だ。

この番組はあらゆるものを経済学に結び付けて考えるもので、

当日はちょうど、「欠乏の経済学」というものが配信されていた(動画のリンクを貼ったので興味ある人は見てみてほしい)。

ピースの又吉氏がゲストの岩尾(フットボールアワー)と玉入れの勝負をする。

玉の数は、又吉が10ヶ、岩尾が3ヶだ。
そして、今度は反対に岩尾が10ヶ、又吉が3ヶだ。

この実験では、2人とも3ヶしか持っていなかったときの方が成績が良かった。

つまり、「欠乏状態にある方が、集中力が増す」という事だ。

(僕が置かれている状況に転化して考える事ができるな。)

そう思うと、より詳しくこの学問の考え方を知りたくなった。

ググると一冊の本が検索結果に現れる。

今回の記事は、この本が僕の主張とがっちりハマッたので、書評も兼ねて考えをまとめていきたい。

 

◆欠乏は心を占拠する。

「スーツケースには慎重に真剣に荷づくりする。これは人生のさまざまな問題のメタファーである。人は時間のスーツケースを持っていて、そこに仕事、レジャー、そして家族との時間を収めなくてはならない。家計のスーツケースに、衣食住などすべての費用を収めなくてはならない。自分に課したカロリーのスーツケースを持っている人もいて、そこにすべての食事を収めなくてはならない。」

「このメタファーが示しているように、欠乏を抱えた人がそれゆえ集中した意識で取り組むと、詰め方が変わる。1ドル、1時間、1カロリーをどう使うかが変わる。そして詰め方のちがうスーツケースができ上がる。大きいスーツケースはぞんざいに詰められ、スペースがあまっている。小さいスーツケースは慎重にぎっしり詰められる。」

なるほど、確かにそうだ。

だが、考えてみたら当たり前だ。貧乏人は金や食べ物の事が頭の中を占めるし、非モテは女のことばかり考えている。

ちなみに以前、ツイッターで投票してみた。

※僕のフォロワーはナンパ垢が多いはずなので、母数としては偏りがあるかも知れない。

どうやら、多くの人が「金<女」という順序で欠乏状態にある、もしくは欠乏状態に陥ったときに女を優先に考える事が分かった。

まあ、考えてみたら当たり前だ。性欲は3大欲求の一つなのだから。

 

◆少しだけ「足る」状態を作る

ちなみに、欠乏状態から抜け出すポイントの一つは余裕=slackである。

ある病院の病室はいつも満室だった。

手術が必要な患者が運ばれてくると、病室を空けたりする調整をするのに追われ、いつもてんてこ舞いだった。

それを見たとあるコンサルタントが、「1つだけ空室を作って、急患の患者だけ受け入れるように」と指示した。

最初は半信半疑だった病院の先生も、しぶしぶ従った。

すると、急患の患者が来ても病室の移動の手間に追われず生産性は10%ほど向上したという話がある(コレが今のICUなんだけど)。

 

時間が無い人は「あえて」空白の時間を設け、何かあったときの時間に引き当てる。

すると、何もない時にはその時間は余白時間となるから、一息つける心の余裕が生まれ、「時間が無い」という状況から抜け出し、生産性も上がる。というのだ。

 

僕は、人生で多くの人が手に入れられないものは女であり、金だと思っている。

何にも満たされていない状態は、頭の中に大きな欠乏状態を生む。欠乏は焦りを生み、非モテ行動を誘発する。

僕が小遣い制であまり金がない状態でも欠乏状態を感じていないのは、足りないもの(女にモテる経験)を「少しだけ足る状態」に持っていったからだ。

自分が何に欠乏状態を感じるのかを知るのは、とても大切な作業だ。人によって欠乏しているものも、その度合いも違う。

「周りがやっているから」とかそういうことじゃない。

もちろん、ナンパ一つとっても、自分のスト値が低いのであれば、ある意味で「欠乏」している状況だ。コンプレックスがあるからこそ、人はその点に着目し、改善を試みる。

女にモテる為の作業も不足を埋めていく作業に他ならない。

自分が「何に欠乏しているのか」を知り、「あえて余裕を持たせる」事が「欠乏状態から抜け出すためのポイント」らしい。

小遣い制なら、まずは少し金を貯めて、ある程度の余裕を生んでから遊べば、余計な金の心配はしなくてもいい。

スタート地点が少しだけ人より遅くなるだけだ、焦らなくていい。

 

◆トンネリング

物事に集中するあまり、他の事に目が行かなくなるのは、トンネルの中にいるのと同じ状態であり、この本では「トンネリング」と名づけていた。

 

下衆な表現は置いておいて、僕が言いたかったのは、

「僕達が考えるべきは、もしかしたら自分の人生そのものであって、勤め人としての自分のことでは無いかもしれない。」

という事だ。

日々忙しくしているうちに、処理すべき仕事に集中するあまり、トンネルの外側(どういった人生を送るかという事)には注意が向かなくなってしまう。

「欠乏によって物の見方が変わり、選択の仕方が変わる。これが強みになって、その瞬間は有能になる。しかしそれには代償もともなう。のめり込んでしまうせいで、ほんとうは大切にしているものをおろそかにするのだ。」

「ひとつのことに集中するということは、ほかのことをほったらかすということだ。本やテレビ番組に夢中になりすぎて、隣にすわっている友人からの質問に気づかなかった経験は誰にでもある。集中する力は物事をシャットアウトする力でもある。欠乏は「集中」を生むと言う代わりに、欠乏は「トンネリング」を引き起こすと言うこともできる。つまり、目先の欠乏に対処することだけに、ひたすら集中するのだ。」

 「欠乏は人の注意を占拠し、それが限定的な強みをもたらす。差し迫ったニーズにはうまく対処できるのだ。しかしもっと広く考えると、それには代償がともなう。人はそれ以外の心配ごとをほったらかしにし、生活のほかの面での能力が低下する。」

 

今の自分はトンネルの中にいて、トンネルの外の世界を俯瞰できているだろうか?

所属している組織ではなく、「自分の人生」を生きているだろうか?

一度立ち止まって深呼吸をしてて、見つめ直す時間を作るのも大切な瞬間かなと、最近ではよく考えるようになった。

 

【参考文献】

 

おわり

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