2017年もあと少しだ。
このシリーズの更新も久しぶりになってしまったが、ひと段落という事でまとめておこうと思う。
僕は世に言う大量生産型の勤め人であり、どこにでもいる小市民である。
ツイッターランドにたくさんいるような、特殊な能力や才能なんてない。ダンスも歌も英語も出来ない。不動産も持っていないし、株式投資もFXも失敗しかしていない。会社経営なんて以ての外だし、仮想通貨も儲けは数千円だ。
それでも、今年は色々変化の大きい年だった。
ナンパで自分を変えるほどのパラダイムシフトが起きた時、Kaz 2.0って感じだったけど、ツイッターを通してお会いした方々の考えに触れて起きた僕の頭の中の枠はもう一段階外れた。
今年は間違いなくKaz 3.0となったと思う。
僕の小遣いは定額制なので、いくら本業で頑張って残業しようが、自分自身の可処分所得は決して増えることはない。
よく言われる「給料以外の収入を持つ」という事は、多くの人にとっては難しい。
すぐに結果が出ないからだ。
その辺りは過去のブログ「何か始たくても腰が重い人へ」に書いたので参照してほしいが、僕の場合、やらなければ人生は変わらないのだ。
幸いにも、僕にはナンパの経験があった。金融日記がここまで爆発的な認知度を得る前から細々とプレイしていたときの経験を活かしたnoteも出したりもしたが、それ以外にも普段思っている事を出来るだけ発信する事にした。
大体、「時間」を使う事に走る。
昔、何かのソシャゲのCMで、
金はない。時間はある
なんて言っていたが、まさにその通り。
心のどこかで、「何か面白いことないかな」なんて思いながら。
これはとても面白い現象だ。
金持ちは口をそろえて「時間が一番大事」という。金を得るにはスピードが大事であり、自分をより付加価値の高い事に従事させる事の重要性を分かっているからこそ出る言葉だろう。
でも貧乏人は「金が大事」だと思っている。少なくとも、時間に対する意識なんてそんなに強く持っていない。
これは僕自身、一度全てを諦めて、スマホでゲームをする事しかしなかった一昨年までの行動を顧みて感じる事である(一昨年は、ドラクエ4、5、6、クロノトリガーを携帯でプレイ、クリアして、裏ボスまで倒すというやりこみ様だった)。
金持ちが「時間が一番大事」と言う事を頭で「認識」している貧乏人なんてゴマンといるだろう。
だが、それを肚に落とし込んでまで理解している連中がどれだけいるだろうか?
成功者や金持ちが「時間が大事」と言っているなら、同じようなマインドを持ち、それをどう使うかを考えるのが、金を得るのに必要な素養なんじゃないか?
そう考え、時間の使い方をPassiveからActiveに切り替えた。
色んな方の後押しを頂き、このブログを開設し更新を続けているし、ツイッターも続けているわけだが、この1年、僕が心がけたことは4つだけ。
ツイッターにおいて意識している事
・自分よりフォロワーが多い人の言っていることを間に受けすぎない。
・但し、自分が正しそうだと判断した言説は信じて行動する。
・情報の受け手をイメージして、その人は何が欲しいのか?読んだ本、聞いた話、自分の経験から何を提供できるのかを考える時間を持つ— Kaz (@12_vagabond) 2017年12月2日
コレに追加して、
ぐらいだろうか。
例えば、ツイッターには、もの凄いハイスペと思しき方々がたくさんおり、その人の言葉や意見はとても自信に満ち溢れている。
ファボやリプがたくさん付いているので、もの凄く説得力があるように感じる。いや、実際説得力がある。
だけど、それを真に受けすぎない事だ。
正しい事かもしれないが、「自分に取ってどうか?」と言うのは全くの別問題。
そして、例えばフォロワーが10人だったとしよう。でもその10人は、自分に興味を持ってくれた10人だ。
彼らは、自分に「時間を使っても発信する情報が見たい」と言う思いを抱いているからフォローしている。
だったら、その10人に何を提供できるか必死になって考えるのがアカウントとしてやるべき事だなと思っている。別に誰も強制しない。
仮に今から僕がクソリプしかしないアカウントに転生しても、誰からも怒られない。
いや、怒ってもらえない。
社会で生きる人間なら、それぐらいは当たり前の感覚だ。
仕事の愚痴や苛立ちをブチまけるような使い方をするのは、典型的な浪費型人間のマインドセットだ。
もちろん使い方は人それぞれだけど、僕はその事を強く意識するようにしてきたし、フォロワーがより増えている今から、より強くその事を意識しなければならない。
時には偉そうな物言いになっただろうし、時には炎上気味な事もあったが、それこそが自分らしさだと思っている。
この一年、こうした発信を心がけた結果、僕が行き着いた考えは、
「自分の人生は自分にしか語れない」
という事だ。
(何を当たり前のことを)と思うかもしれない。とても月並みな考えだ。
だけど、コレはホントにその通りで、あなたが生きてきた数十年間が誰かと全く同じことなどあり得ない。
失恋や、失敗、苦労や成功を通して身に付いた感性や考えは自分にしか分かり得ないし、表現できないものである。僕の小遣い制の苦楽は僕にしか語れない。
僕の周りに小遣い制はゴマンといるが、ナンパをして、ブログをやっている小遣い制など1人もいない。
ツイートは、そうしたバックボーンがあってこそ生み出されるものであって、「何も言う事などない」と言う人など皆無である。
言う事がないのではなく、「うまく言語化する訓練が出来ていない」だけである。
だからこそ無料のツイッターで赴くままに発信すれば良い。発信そのものが訓練になる。
ところで、僕の今年の収支だが、具体的な額は控えるが、ある程度はプラスになった。
会社の給料以外でこれが得られたのは、とても貴重な経験だ。
幸いなことに、今年は色んな方にお会いさせて頂いて、その経験が大切だという考えの片鱗に触れることが出来た。
非モテから脱却する方法も、女の子と自由にパコれる方法も、同じ小遣い制の同僚からしたら垂涎モノの美味しい思いもたくさんした。
コレは、僕一人の力で出来たなんて事は1mmも思っていないし、色んな激論もあったけど、僕は僕のスタンスを変えずにやってきた。
今年は、「時間」の使い方を浪費型から投資型に変える素地を整えた。
コレを読んでいる、今はまだ「何者でもない」人に少しでも僕の考えが届いてくれたら、こんなに嬉しい事はない。
だが、まだまだ僕の(嫁との)闘いは続く。
小遣いを嫁に叩きつけるその日まで…
おわり
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