小遣い制のおっさんに伝えたい事

僕も小遣い制のおっさんだったので、気持ちがよくわかるのだが、金がないということを色んなチャレンジへの言い訳にすることがよくある。というか殆どの決定は金が足枷となる。

仕事ではフルコミットするが、それ以外の人生について認識が甘すぎる人が多い。会社員であるなら、それは自分の人生の一部に過ぎない筈だ。

収入の柱を考えた時、多くの人は1本足打法で頑張っている。

老後資金2000万円が必要と言われている中で(金額の妥当性については一旦置いておく)、これを本当に考えて、動き出す人がどれだけいるかということである。

今30歳だったとして、65歳が定年だった場合、そして貯金がゼロだった場合、残りの35年で2000万円を作る必要がある。

しかし、個人的な見解ではこれでは絶対に足りない。住宅ローンの残債などを考えると、最低でも月に20万円はほしいところだ(この辺はいろんな考え方があると思うが、おそらく大きくは外れていないだろう)。

という事は年間で、240万円必要になってくる。その後の人生が80歳まで続くと考えると15年×240万円=3600万円は必要ということになる。

ちなみに年間240万円というのは最低の生活レベルだと思う。それでも80歳まで生き切るには3600万円必要なのだ。

それをあと35年かけて作ろうとすると、年間100万円ぐらいはタネ銭を作っていく必要がある。

老後に貧乏な暮らしを強いられるのに、これだけの資金が必要なのだ。

最低レベルでも、だ(ちなみに家、自家用車を購入しないという賢明な判断ができる人は対象にしていない)。

もちろん、僕らが65歳になるころには、定年退職自体がなくなっている可能性もあるが、それは希望的観測に過ぎないかも知れない。

僕は生活コストにはそこまで金は掛けないし、買いたいものも特にないが、女の子と遊ぶ金だけは確保し続けたいと思っている。

いくらアンチエンジングに力を入れても、限界は来るだろう。

どこかのタイミングで、金がなければ女に相手にされなくなる日がくる。

その為には金が必要なのだ。

 

また、金の事で戦々恐々とする思いはもうたくさんである。

守りだけでは、老後まで金の心配をせずに生活できる保障がなさすぎる。

その為に、僕は収入源を本業以外にも持っておくという事を選択した。

と、ここまで落とし込んで考えられる人がどれだけいるか、ということが一つ。

それでも、小遣い制を受け入れているのであれば、それも一つの選択肢だ。

 

だが、この考え方にはもう一つ「自分の人生を生きる」という観点がすっぽり抜け落ちている。

現在の僕の収入源はサラリーマン一択ではない。

要するに、サラリーマンの生き方というのは、僕の人生の中の一つであって、しがみつく必要は必ずしもない、ということだ。

これは金銭的な意味合いも大きいが、そうではない精神的な側面もとても大きい。

もちろん、仕事をして、それ以外の「趣味や家族との時間が自分の人生」だという意見もあるだろう。

それは理解できる。

しかし、収入源をいくつも持つ、という事は仕事とプライベートという二項対立的な考え方とは違った感覚がある。

真の意味で「自分の人生を生きている感覚」を明確に感じられる。

まず、一つは自分で金を稼ぐと言うことは、とても能動時になれると言うことだ。

と言うより、守りの姿勢だけ貫いていたら金は稼げない。市場という弱肉強食の世界でさまざまなリスク(法律、ライバル、情報格差、為替リスクなどなど)と戦う必要がある。

知らなかった、では済まされない世界である。

人に言われてどうこうする考え方だと100%潰される。資金がショートすれば即刻人生終了。

「自分の人生を生きている」という事を嫌でも実感する。

収入源をいくつか持つと言うと、どうしても金の面に目が行きがちであるが、掛ける時間と労力が人生の実感を与えてくれる。

 

今、小遣い制のおっさんを眺めて

僕もかつては小遣い制だった。

申し訳ないが、上から目線にはなるが、この事実をありのまま受け入れ何もしていない人は正直色々まずいと思う。

サラリーマンは源泉徴収で税金を持っていかれ、更に残ったいくばくかの金のほとんどを嫁にもっていかれる。

自分の置かれた立場を理解しながら、それでも小遣い制を受け入れ続けるというのであれば、それはそれでいいと思う。

しかし、何にも気づかずに現状を受け入れ続けるのは、詰んでいると言わざるを得ない。

何が詰んでいるかと言うと、そのマインドである。

サラリーマンは会社に思考力を奪われた状態であり、小遣い制は、更に家族にも行動力まで奪われた状態である。

この記事を読んでどう変わるかなど分からないが、すべての事は意味づけに過ぎないと思う。

少しでも行動を変えるも良し、捉え方を変えるも良し。

ただ、気付いてほしい。それはもしかしたら自分で選択したように見えて、実は消去法を選択し続けた結果に過ぎないかもしれないという事を。

正しい選択と、正しい努力をすれば、正しい反応をしてくれるのもまた市場というものだろう。

副業とかいうとちまちま小遣いを稼ぐイメージがあるが、そんなことはない。

事業は事業なので、キャッシュが生き詰まるリスクもある。

が、檻の中で生き続けるのは、気づかされていないだけかもしれない。

副業を煽ったりするつもりは毛頭ないが、この記事を読んで、行動を開始する人が少しでもいれば嬉しい。

 

 

おわり

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