本当に恥ずかしい話だが、僕は仕事では100億も調達しているのに、プライベートでは嫁から数万円しか調達できていない。
そもそも小遣い制であるが故にいろいろ諦めてきてしまったことも多い。なぜぼくは小遣い制になってしまったのか、結婚生活はこんなはずじゃなかったと嘆かない日はない。これがどんなに恐ろしいことか、その時はまだ知らなかった。
まずは、小遣い制を受け入れる前の事からお話ししていきたい。
結婚した当初、会社の先輩や同僚後輩含め、家庭を築き、家を買い、車を買い、子供を育てると言うモデルの中で生きているということを、当たり前とする世界にいた。
会社というところは非常に限られた空間であり、特にサラリーマンにとっては、時間の時間の半分以上をすごす場所だ。
僕みたいなひねくれ者でさえ、そこで交わされる会話や考え方に気づかないうちに染まっていた。
よく、何かをやり遂げた男女が意思を通わせ懇ろになるように、共に困難や課題を乗り越える会社の人達は、やはり同じベクトルを向く仲間であり、考え方すらも似通うようになる。
もちろんプライベートの過ごし方などは特に相談する必要もないが、自分が経験していない結婚や出産、子育てということに対しては先輩や上司はすでに経験済みであり、その考え方は、ある意味で非常に参考になるものだろう。
みんな同じような給料をもらい同じようなところに住み、同じような生活を送っている。
僕も当時は、自分がその輪の中に入っていこうとしている事に、何の疑問も抱かなかったし、自分を客観視しようとすらしていなかった。
ただ、一方で、今思うとゾッとするけど、電車の中でよれよれのスーツで死んだ目をして、僕らがが見下してる彼らは、会社では誰かの上司であり先輩であり、誰かにアドバイスをする立場であるかも知れないのだ。
◆お金の事が頭をよぎるかどうか
先日も飲みながら話をしていたのだが、kaiさんの様な経営者が合理的に生活をし、コストを抑えるという事と、僕がコストを抑えるという行為自体は、一見同じ様な事に思える。
が、これには明らかな違いがある。
それは、「常にお金のことを考えなくてもいいかどうか」、という事だ。
極端に限られた資金の中で生活すると、一番大事なのは、お金という考え方になる。
好むと好まざるとに関わらず、資金難になってくると、どうしても頭をよぎる。
「今月どうしよう」と。
当然ながら、一番大事なのはお金でなく「信用」や「時間」であって、この奴隷のような制度に縛られた彼らはそのことに絶対に気づくことはできない。
これはまた別の記事にまとめるが、お金の事を考えている以上は、絶対にお金を得ることはできないのだ。
小遣い制を脱するには至っていないが、幾ばくかのお金を得られるようになってから、強く感じる事である。
こんなことは、どの本にも書いてあることだし、「はいはい、分かってますよ」と言うことかもしれないが、文字で見て頭で理解するのと、体まで落とし込んで、理解するのでは全く意味が違ってくる。
それこそ、僕が以前の記事に書いた、頭の中の壁をどれだけ外せるかどうか、がポイントになってくるだろう。
節税の手法自体はさほど奥は深くない。やり過ぎると税務署の人から怒られると言う明確な限界がある。
大切なのは商品を作って売り上げを立てる事。売り上げ作る方がずっと奥が深い。
でも一番むずいのは勤め人の洗脳を客観視して法人の箱を持てばお金を自分でコントロール出来るぞ、と気付く事や。 https://t.co/wQL6IBglTt— サウザー (@Fist_of_Phoenix) 2017年7月27日
サウザーさんは、こう言われているが、小遣い制の男は、これよりもまず、「金の事を考えなくてもいい様にするマインドの大切さ」を理解する事だ。
言葉や頭じゃなくて、カラダで。
あ、でも実際にお金を得ないと分からないことだから、結局同じことかw
おわり
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