先日、kaiさんと、貴船の川床料理を食べながらツイキャスをさせて頂いた。
(お聞き頂いた方、ありがとうございました)。
PCを前に語り合う僕らはかなり異質であったが、そんな事は関係ない。
女のムダ話を聞かされる事よりも断然、最高の時間であった。
さて、ほろ酔い気分でお互いのブログについて話す場面があった。
kaiさんはkaiさんで、僕は僕でこうしてブログを書いているわけだが、ツイッターのフォロワーが多い人は、総じてブログやツイッターやツイキャスで情報発信をしている。
一年前、全くのROM専であった僕は(もしかしたらコレを読んでいる方も)一つ勘違いをしていた。
それは、「フォロワーが多い人がブログなりで情報発信している」と言う事。
これは、実は因果関係が正反対なのである。
そう、「情報発信を継続しているからフォロワーが増えている」状態になのである。
僕も自分がブログを書き始める前は、「まさか自分が書くのか?」と思ったし、書き始める時も「書く事なんてあるのか?」とも思った。
自分の中で完璧にしないと、発信などおこがましいと考えたのである。
それは、比較対象がアルファツイッタラーの方々であるからだ。
彼らの文章は非常にウィットに富んでいて、表現方法も豊かで、文章の構成も綺麗で…良い点を挙げだすとキリがない。
いや、待て待て。
お前さん、何様ですか?というか最初からそんなにうまく書けるんか?
ナンパだって、スポーツだって、セックスだって、仕事だって最初はうまく出来かっただろう?
今は片手でサクッと出来るブラホック外しだって、コンドームだって最初は凄く苦労したはずだ。
まずは、何でもいい。書いてみる事が大切なのである。
何者でもない僕達に出来るのは、質<量である。
もちろん、頭をひねって表現方法を考えたり、読まれる努力をする事は大切であるが、そんなものは書きながら身につければいい。
荒削りでも、自分的にあまり面白くないな、と思うネタだって、発信してみたら意外と誰かの共感を得ることもあるかも知れない。
僕だって、「誰が小遣い制のおっさんの話を聞きたいんだ。」と思った。
それでも、記事を書いた日は数百人の目に止まるし、何らかの反応があったり、僕の記事をキッカケに動き出そうとしてくれる人までいて、自分の中で書いていくことの意義というものが日々増しているなと感じている。
「フォロワーの多いあの人が言ってるからこうだ。いや、あの人は逆のこと言ってるぞ」なんて事はザラにあることだし、それぞれがそれぞれで正当性がある。
フォロワーが多い事は、影響力を持っていると言うことではあるが、それが全てというわけでは当然ない。
特に若い内やフォロワーが少ない内、素直な人なんかは、そうした意見に左右される事もある。
が、人は人である。その人に影響力はあるかも知れないが、だからといっていつも正しい事なんてない。
だから、人の意見は意見として素直に受け止めつつも、自分の考えをつけるクセをつければ言いだけの話だ。フォロワーの多寡は関係ない。
どうやら、僕達は永きに渡る学生生活や社会人生活の中で培われた上下関係の中で、自分よりも強いモノ=正しいと刷り込まれているようだ。
だが、情報発信をしてみれば分かる。余りにもわけ分からないことを言わない限りは、アンチは攻撃してこない。
アルファの方々は必要以上に絡んでこない。
同意が得られたときや、意見があるときに反応があるが、それはとても美味しい事である。
僕自身はフォロワー1500人弱と、そんなに多いわけではないが、それでもツイートするとなんらかのリプやファボがつくことが増えた。
返信で意見を頂くこともある。
ただそんな時、同意できたり、反応したくなったリプに対してだけ反応する事にしている。
今でこそ、「アルファアカウントの人ってこんな気持ちなんだろうな」っていうのがなんとなく分かる。
(1年前には全く理解できなかった、というかRTとイイね!の違いもほとんど分かっていなかったw)
さて、フォロワーが少ない時に、いざブログを始めてみても、次は継続が億劫になる。
それは、読み手の反応がないからだ。
流入元はツイッターだけではないけれど、フォロワーが少ないうちは、PV数も少なく、反応もないからホントに読まれてるのか?と不安になる。
ブログは誰かに向けて書く。
僕の場合は、勝手に作り出した対象の人物を思い描きながら書く。
が、対象を思い描けないうちや、何も反応がないというのは本当に寂しい。
基本的にブログやツイートなどの情報発信というのは何かネタがあって書くものであるから、継続しないということが普通の状態であり、継続するということは、やはりそれなりの理由がないといけない。
それは、一つは上述の通り「読み手の方から反応がもらえるか」ということである。
数年前、ツイッターも何もやっていなかったときに、「サラリーマンのライフハックに関するブログ」を始めた事があるが、全く同じ理由でやめてしまった。
だが、結果なんて最初から出るはずがない。
それでも少しずつ反応があって、共感や批判があって、大きくなっていく過程を楽しまなければ、継続なんて出来ない。
というか、いきなり反応がある状態なんて、多分すぐ飽きる。
そんなのが許されるのは、若くて可愛い、ファッションリーダー(死語)の女子垢だけだ。
◆書くことの意義
僕は今でこそ、書くことそのものや表現そのものという事にいい楽しみや、喜びを感じることができるので、誰に読まれているか、どういう反応があるのかというのは実はそこまで気になっていない。
それは、「読み手の人に何らかの価値を与えなければいけないと」いう強迫観念みたいなものが、今の僕にはほとんどないからである。
もちろん、考えを述べる事で、もしかしたら誰かがボヤッと思っていることを、僕が文章化できている、なんて事はあるのかも知れない。
そういう意味では価値を与えられているのかも知れないが、一番は、僕という人間をもっと知ってほしいという事だ。
多くの人が書くブログというのは「〇〇をしてみたことに対しての感想」であるが、 例えば僕の記事のように、思っていることや普段の自分の考えをまとめる場としてのブログ、というスタイルもある。
表現する内容なんていうのは、 もしかしたら既にあって、それに着目するかどうかだけの差なのかも知れない。
だから、前回の記事にも書いたとおり、今あるものから何かを見つけ出すと言うことが一番求められるスキルなのかもしれない。
ナンパブログを書く。
れはこれで非常に面白いと思う部分でもあるし、すごく刺激的な文章ではあるのだが、逆に言うとナンパをしないと記事が書けないということを言ってしまうことにもなる。
こうなってしまうと、気分が乗らないという時に記事が書けなくなってしまったり、ナンパを継続しないとブログの継続も難しくなってしまうことになる。
もちろん自分の内面の事を書くと身バレしてしまう恐れがあるが、以前書いたとおり、普段の心模様や思ったことなどは、他人にいちいちひけらかしているだろうか?
一つ断言できる。
普段付き合っている他人(会社の同僚やソリの合わない友人)は、そこまであなたに興味はない。
だから、つまらないことに悩んでいないで、あなたの人格を世の中の人にもっと知ってもらう事に価値を置くべきだと思う次第である。
おわり
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