ここ数日の流れもあるので、備忘録的に残しておきたい。
先日、僕がやっているある事に対して、リア友の1人から「Kazがやっている事は僕は反対なので、早く目を覚まして欲しい。」と言われた。
彼とは仲の良い友人である。
僕がやっているある事の内容の明言は避ける(ネットワークビジネスとかクスリとかじゃない)が、彼からしたら、自分の認識や、彼の常識の外の事を僕がやっている事が気に食わなかったのかも知れない。
ちなみに僕のやっている事が、彼の私生活を脅かしたり、実害を被らせたことは一度もないと思っている。
「それをやって欲しくない」と言われた時、僕は「何故そんな事に干渉するんだ?」と聞いた。「君に実害を及ぼした訳じゃないし、関係ないよね?」と。
すると、彼は「干渉したつもりはなくて、個人的な意見だ。」と言った。
少し間を置いて冷静に考えて見た。
おそらく彼の「干渉」と僕の「干渉」では、意味合いが違っている。
友人は、僕の事をよく知っている訳で、「こうして欲しくない」という思いを抱いたのかも知れない。もしかしたら、彼の周辺の環境を変えてしまうような事だったのかも知れない。
だけど、変わったのはもしかしたら周りの方かも知れないし、流れのようなものかも知れないから、僕の行動が環境を変えてしまう一端を担ったとしても、それはそういった環境になるべくしてなったということだろう。
僕は、自分に実害がない事には興味もないので、紗栄子が離婚しようが、上原多香子が不倫しようが、誰がnoteを書こうが、副業をしようがハッキリ言って興味もない(というか僕もしてるし)。
今回のことに話を戻すと、「目を覚まして欲しい」という彼の「個人的な意見」で、僕は「干渉された」と認識したワケだ。
でも彼からしたら、「そんなつもりはない」と言う。
ここには明らかな認識の違いがある。
例えば、僕が今井絵里子の不倫に関して不快な気持ちを持ったとする(実際は興味もない)。でも、それを言わずに心の内にしまっておく事は、世に言葉として出ていない内は、「正式な意見」として成立していない。
ただ、それが文字や言葉やSNSでの発信によって、世に出た瞬間に「正式な意見」となる。
そして、その言葉が(どんな形であれ)相手に伝わった時点で、それは「干渉」に当たると僕は思っている。
基本、他人が何しようと勝手で、「害がないなら、倫理的に外れてないのに何が悪いの?あなたに何が関係あるの?」と思う人と、実害がなくても、その行為が「気に食わない」という理由で「干渉する」人がいるんだなと、そして、言葉を発している側が、「干渉していると認識していない場合もあるんだな」と感じた出来事であった。
コレは僕なりに事実を客観的に見た結果であって、どちらがいいとか悪いとかいう事ではないし、僕の意見に賛同を得たいと言う事でもない。
ただ、僕は僕の「正式な意見」をブログと言う文字媒体に残すことによって表明しているだけである。
この事は、強くお断りしておきたい。
ちなみに、こうした経験は過去の自分にも言えたことなので、自戒の意味も込めて、ここに書き残しておくことにした。
そんでもって、一つだけ。
何か言われても、相手とバトる気がないなら、僕なりの答えはこうだ。
「沈黙は金」
これ以外にはないと思っている。
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