サラリーマンが会社の外でお金を得る為に必要な事とはなんだろう。
僕は本業一本の時によく考えていた。
ツイッターのTLに流れてくる凄そうな人達を見て、「ああ、彼らの目の付け所は全然違うな。才能がある」と、本気で思っていた。
今もそう考えている人も多いのかもしれない。
もしくは、ビジネスモデルを考えて収益化する事を考えたりもした。
だが、本業の知識は活かせず、ビジネスモデルなんてものも特に思いつかず、FXに手を出し大損をこいた。
楽に金を得られるであろう世界に身を投じ、毟られてしまったのだ。
結局、自分が最も敬遠していた転売の世界でそれなりの実績を積む事が出来た。
自分で実際に稼げるようになる為に必要だった事を今回はまとめてみることにする。
最近、「天才を殺す凡人」という本を読んでみた。
この本では、天才、秀才、凡人を
天才=独創的な考えや着眼点を持ち、人々が思いつかないプロセスで物事を進められる人
秀才=論理的に物事を考え、システムや数字、秩序を大事にし、現実に物事を進められる人
凡人=感情やその場の空気を敏感に読み、相手の反応を予測しながら動ける人
と定義している。
天才は、新しい事を生み出す能力に長けているが、その評価軸にKPIは使えない(評価の基準は「他者からの批判の数」)。
秀才はロジカルに物事を進められる。再現性とか、物事を定量的な評価軸で語ることができる。
とも書かれている。
この本では、一つの会社の中でそれぞれの立ち位置を示しているけど、今回は、ビジネスでどう活かしていったらいいのか、について考えてみた。
天才である必要はないけど、凡人であってもダメ
ビジネスモデルを自分で考えて創造するのは、間違いなく天才だろう。
昔、色んな事を考えたけど、一向にアイデアが詰まらなかった。
本業のスキルをうまく活かして事業に出来たらいいけど、守秘義務とかあるし、固い仕事とかだとまず無理。
どうせだったら、最終的に手離れできるようなビジネスモデルがいいかとか、ネットを使った副業がいいとか考えると、そもそも知識がなさ過ぎて苦しい。というか手詰まりになってしまう。
昔FacebookがInstagramを買収した時、意味が分からなかったが、今だったらあれが正しい判断だったことは世の中のほとんどに人が理解できるだろう。
やっぱりマーク・ザッカーバーグは天才なんだと思う。
ビジネスで大きく成功するためには、そうした天才が必要なのかもしれないが、残念ながら僕は天才じゃない。
じゃあ、金を稼ぐことは無理なのかというと、そんなこともない。
世の中はそんなに単純じゃない。
人一人がサラリーマン以上の収入を得ることは、思ったよりもハードルは低いんじゃないか。
最近ではそう感じる。
秀才たればお金の稼ぎ方は学べるし、実際に稼げるようになる。
誰の中にも天才的な素養、秀才の素養、凡人の素養というのはあるだろう。
結局、何を元に一から何もかもを作り出すのは、当たればデカいし、勝者総取り出来るが、失敗のリスクや時間が掛かる可能性が高い。
一方で、秀才は物事を論理的に考えられれば良い。
感性や突飛なアイデアよりも、決まった手法や手順を守っていくことで堅実に息の長いビジネスモデルを組める可能性を秘めている。
つまり、古い業態で長く続いているビジネスモデルを模倣すれば、ある程度稼げるようにはなる(可能性がある)。
その一方で、論理的なやり方というのは誰しもに理解されやすいので、競合は増え、ある程度のレッドオーシャンの中で戦う必要が出てくるというのは、致し方ないことだろう。
人と違う手法、目の付け所で勝負をしていく事が大切だ。
僕自身は秀才だとは思っていないが、再現性のあるビジネスモデルで目に見える指標を使いながら論理的に物事を進める力はサラリーマンで鍛えられたと思っている。
つまり、この本でいう秀才は、多くのサラリーマンなら身に着けていることが多い。
そして、その力は再現性のあるビジネスモデルなら、大いに発揮する事ができる、というのが個人的な意見だ。
稼ぐのに必要なのは才能なのか、努力なのか?
で、実際にお金を稼ぐ事になった後に感じた事なのだが、大切な事はなんだったのか。
いくら定量的な評価基準を持っていても、行動しなければ意味がない。
僕なりには、「決断のスピード」と「グダ崩しの回数」だという結論に至った。
どういう事か。
例えば、僕のブログを見て何か始めようと思った人がどれだけいるかは知らないが、「コレだ!」と思って即行動出来る人はそんなに多くないとは思うが、ここで何かを決断しさっと始められる人(別に僕のブログじゃなくてもいい)。
継続すると必ず壁が現れるし、新しい事を常に取り入れて行かなきゃならないので、自分の中にグダが発生する。
いつもながら自分のビジネスモデルに当てはめて恐縮だが、英語表記のebayで出品する、英語でリミットアップの電話をする、海外に国際郵便で発送する、英語で顧客対応、返品対応、商品のリサーチ、外注化…数えたらキリがない。
そして、その全てでグダが発生する。
ココを面倒くさがらずに対応できる人に、なんとか結果がついてくる、そんな世界だと思う。
(ちなみに転売は超シンプルなビジネスモデルなので、グダのレベルも低い。一度やれば覚えられる。)
勤め人は本業ではグダらない、グダれない
上司から新しい話を振られた時に、ダルいと思いながらも、なんとか対応できてしまう事は多い。
サラリーマンだと失敗したら評価が下がるけど、事業で失敗しても最悪クビになるだけで、ビジネスに対するリスクを背負う必要がない。
なんて気楽なんだろうと思う。
ハッキリ言ってサラリーマンでの仕事、特にホワイトカラーと呼ばれる人達の仕事は、自分で商売をやる事よりも高度な場合が多い(もちろんそうとは一概に言い切れないが、小売に関してはビジネスモデルは至極単純である)。
なのに出来てしまうのは、責任感と外圧が働くからだろう。
かなり厳しい目標を掲げられても達成できてしまった。
そんな経験は多いはずだ。
・サラリーマンで鍛えた能力は、古くから残る業態においては大いに発揮できる。
・行動と継続、グダ崩しをどれだけできるか
が稼ぐためには必要な要素だと感じる、というお話でした。
では、このへんで。
おわり
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