『幸福の資本論』を読んで、自分のnoteを批評してみる。

話題の『幸福の資本論』を読み、感銘を受けた。
特に前半部分は僕が普段モヤモヤと感じていることに、単純明快答えてくれているような気がした。
 
この本の書評については、PuANDAさん(@shoichirosm)やつかささん(@tsukasa_hiraga)が既に書かれており、これ以上の内容については書ける自信もない。なので、本の書評はお二人のブログに譲るとして、僕は僕なりに、この本を読む前に書いたnote『転職工学』について、本の内容に触れながら、批評してみたいと思う。
 
 
少しつっ込んだ内容になるので、もしかしたら多少のネタバレになるかもしれない(知りたくない人はそっとページを閉じてほしい)。
 
 
本書では、欧米の会社員が、その能力に帰属する「ジョブ型」(プロフェッショナル)であるのに対し、日本のサラリーマンは「メンバーシップ型」であり、真の意味でプロフェッショナルなどいないとしている。その証拠に、「正規社員」と「非正規社員」で身分としては、明確に区分けされているものの、非正規社員が正社員の仕事が出来ないかというと、そうでもないからだ。
 
これを図式化すると、こうなる。
 

 
ここでいう拡張可能かどうかというのは、いわゆるその人の仕事の影響力がどこまで広がるか、という事を示している。
 
例えば、拡張不可能な場合、あなたが実施した仕事の内容は業務で関わる人にしか影響しない。
 
典型的なサラリーマンの業務だ。
 
拡張可能な場合、Youtuberのように、影響の受け手が(ほぼ)無限に広がることを意味している。
 
そして、サラリーマンで働いている以上は拡張可能な事を生業にするのは極めて難しい。
 
サラリーマンの多くが、マックジョブ、もしくはスペシャリスト(赤枠)に相当するが、スペシャリストの仕事は、少しずつマックジョブに侵食されているという。
 
なぜなら、ほとんどの仕事を費用の安い非正規雇用(もしくはAI)に置き換えられてしまうからだ。
 

 
こうした言説を意識したわけではないが、僕のnote『転職工学』は、サラリーマンとして拡張可能なクリエイターになる見込みがないのであれば、いっそ本業ではサラリーマンの既得権を守りながら、外の世界(個人の世界)で、それを目指す。という事に役立てる一つの指標を示している、といえるかも知れない。
 
企業にいることで、非正規、正規社員の垣根が低く、「侵食を受けていくのであれば、いっそ個人で目指した方が手っ取り早い」と考えるからだ。
 
そして、それは残念なことに全員に約束された椅子ではないのだ。
 
この本でも、「好きなことで食べていくしかない残酷な世界が待っている」としている。
それが大げさかどうかは別として、サラリーマンだったら定年後の生活を年金や退職金だけで賄っていけない事など大いに予想できるだろう。
 
 
◆僕のnoteに抜けている視点
 
さて、上記の考察を元に、僕のnote『転職工学』を批評してみたい。
 
上述の通り、『転職工学』は、「個人で好きなことをして食べていく為に、何かしらの行動を起こす必要があるのなら、その為に一番必要な「時間」を捻出する為に、どういった考え方で転職をしたらいいのか」について述べている。
手前味噌ではあるが、この考え方には一理あると思っている(実際、僕の予想に反するほど多くの数が売れた)。
 
だが、『転職工学』に抜けている視点がある。
 
それは、「本業でやりがいを追う事の大切さ」だ。
 
多くの人がサラリーマンとして働く中で、その人生の大半を会社の業務で消費する。
 
労働基準法における法定労働時間は(基本的には)8時間である事を考えると、仮にうまく転職できたとしても、大半を会社の業務で消費する、という事に変わりはない。
 
であれば、その中でいかにやりがいを見つけるか、というのは、QOLを高める意味でも重要な事かも知れない。
 
『転職工学』では、その事が言及されていない。
どんな部署に配属され、どんな人間と付き合うかは分からない。学生時代と違い、全く生理的に合わない人間というのは一定数存在していて、そんな人たちとうまく付き合う処世術を学ぶことが出来る場が会社であるし、お客様に怒鳴られながらも、必死こいて達成したときの喜びを感じることが出来るのも、会社生活の醍醐味だ。
 
(言葉足らずではあるが)20代のうちにこうした経験をしておくのも一定の価値があると考えるから、「学生の人にはnoteは勧めない」と言及した。
 
長期的に見ると、「会社は一定の距離を置いて生活を維持するための装置」という考え方があるのであれば、一度読んで見てもいいかもしれない。
 
「いやいや、僕はこの会社と一緒に成長していくんだ」、とか「安定した生活は会社員生活で十分手に入るよ」という人には、ちょっと合わない内容になっている。
 
 
いずれにせよ、僕は『幸福の資本論』の内容は、凄く刺さった。
 
インターネットという拡張可能な世界、が個人にこんなに開かれているのであれば、それを活かさない手はないだろう。と考えている。
 
 
僕自身色々模索中だが、サラリーマンの仕事論については、いずれ体系的にまとめられたら良いと思っている。
 
 
 
おわり

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください